元祖 小さな巨人
数多くの強豪を輩出し、逸材を育ててきた極真会の中で、小柄な長谷川はどちらかと言えば目立つタイプではなかった。が、異例の超スピード出世を遂げ、空手を始めてからわずか3年足らずで全日本選手権大会で王者になり、以来、体を張って極真カラテの看板を守り続きてきた数少ない最古参の一人である。
その小さな巨人の活躍ぶりはマンガ空手バカ一代にも掲載されている。
●長谷川一幸物語
1948年
(昭和23年) |
8月28日徳島県板野郡板野町に生まれる鳴門市立工業高校時代に柔道部に入籍。二段でキャプテンを務める |
1967年
(昭和42年)
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19歳の誕生日に極真会館本部道場に入門。 |
1967年
(昭和42年)
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頭は低く目は高く、口を慎んで心広く、孝を原点として他を益する |
1968年
(昭和43年)
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東京理科大学理学部化学科に入学(2年で中退) |
1969年
(昭和44年)
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初段を取得。
同年9月の第一回全日本選手権大会で3位入賞。 |
1970年
(昭和45年)
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本部指導員となる。
同年9月の第二回全日本選手権大会でチャンピオンとなる。(山崎、添野氏らと共に極真の三羽ガラスまた芦原氏を含めて極真・四天王として
その地位と名声を不動のものにする。) |
1970年
(昭和45年)
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徳島県に帰省し、支部道場を開設。 |
1978年
(昭和53年)
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愛知県支部長に就任。 |
1999年
(平成11年) |
空手界初の社会文化功労賞を受賞。 |
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▲長谷川師範(左)と大山総裁(右)

▲大山総裁(前列左)と藤巻潤氏(前列中)

▲ありし日の大山総裁と談笑

▲徳島市の道場にて。25歳頃。
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