極真空手とは

「極真」と言う名称は、「千日をもって初心とし、万日をもって極みとする」という武道の格言から発したもので「武の真髄を極める」と言う意味がこめられている。

また戦後の空手界において突きや蹴りを相手の体に直接当てることを禁じた「寸止め」ルールが一般的であった事に異を唱え、武道本来がもつ実戦対応能力の重要性を提唱「直接打撃制 ( フルコンタクトルール ) 」を世界で初めて採用した空手です。

そして創始者大山倍達の提唱した「頭は低く、目は高く、口慎んで心広く、孝を原点として他を益する」という極真精神を礎とし、極真空手道を通じて人格の淘治と心身の鍛錬をはかり、社会貢献の遂行を目的としています。
さらに、極真空手においては人権・民族・国家・政治・思想・宗教・性別・年齢などによる偏見を廃し極真空手を通じて世界交流を行い世界平和に貢献することを究極の目標とする。


 

国際空手道連盟 極真会館の歴史とは、大山倍達総裁の歴史である。

 


創始者 大山倍達総裁

1923年に生を受け幼少の頃から拳法を学び、松儒館空手の開祖船越義珍先生の門を叩き、その後剛柔流空手、その他の格闘技を研究し 1947 年に戦後初に開催された全日本空手道選手権大会で優勝。
また空手に生涯をかけることを決意し行った身延山・清澄山に籠もっての空手修行は有名な逸話である。牛を拳の一撃で倒し、ビール瓶を手刀で切り、遂には猛牛をも倒し“ゴッドハンド”と呼ば れるようになる。
1952年に渡米して全米各地をまわりプロレスラーなどと真剣勝負を行って連戦連勝、同時に空手を紹介する。その後も世界各国をまわって各種格闘技と戦い「カラテ」の名声を世界に広げる。
「空手こそ最強」の信念のもと、直接打撃制を提唱して 1954年5月に大山道場設立、1963年「国際空手道連盟 極真奨学会 極真会館」に改名、ここに極真会館が誕生する。

当時の空手界においては、試合で突きや蹴り等の技を相手の体に直接当てることを禁じたいわゆる「寸止め」ルールが一般的であったが、そのことに異を唱え「自分の攻撃で相手が倒れる程のダメージを与えられたかどうかは実際に相手の体を叩いてみないと判らない」として、1969 年に「直接打撃制 ( フルコンタクトルール )」を採用した「第 1 回オープントーナメント空手道選手権大会」を開催。
キックボクサーや他流派など様々な格闘家が参戦したが、上位はすべて極真勢となった。
国内においては 1971年に大山総裁と極真を題材とした劇画「空手バカ一代」が発表され空前の極真ブームを巻き起こした。
その後も全日本大会、全世界大会を開催し、そのどれもが大盛況を博す。
これにより国内には 350 を越える道場、世界には 120 カ国以上に支部道場が存在し、非公認をあわせると総勢 1,200万人もの道場生が在籍する世界最大の規模の空手団体となる。

座右の銘

  • 武の道は礼にはじまり礼に終わるよって常に礼を正しくすべし
  • 武の道の深究は断崖をよじ登るがごとし
    休むことなく精進すべし
  • 武の道においてはすべてに先手あり
    しかれども私闘なし
  • 武の道においても金銭は貴いものなり
    しかれども執着すべからず
  • 武の道は姿なり
    何事においても常に姿を正しくすべし
  • 武の道においては千日を初心とし
    万日の稽古をもって極とす
  • 武の道における自己反省は常に練達への機会なり
  • 武の道は字のためにあるものなり
    修練にて私心を忘れるべし
  • 武の道においては点を起とし、円を終とす
    線はこれに付随するものなり
  • 武の道においては真の極意は体験にあり
    よって体験を恐るべからず
  • 武の道において信頼と感謝は
    常に豊かなる収穫を得ることを忘るべからず

道場訓

道場訓には極真空手を学ぶ上で最も大切な心構えが詰め込まれています。創始者 大山倍達総裁は、空手の修行は自分自身の心と身体を鍛え上げることこそが最終目的であると常に語っていました。
道場訓は大山総裁の空手観・武道観をまとめたものです。

道場訓の制作には総裁がもっとも尊敬していた「宮本武蔵」の著者で、昭和を代表する小説家の吉川英治先生が監修されたもので、文語的な古い言い回しが用いられています。

  • 一つ、吾々は心身を練磨し確固不抜の心技を極めること
  • 一つ、吾々は武の神髄を極め機に発し感に敏なること
  • 一つ、吾々は質実剛健を以って克己の精神を涵養すること
  • 一つ、吾々は礼節を重んじ長上を敬し粗暴の振舞いを慎むこと
  • 一つ、吾々は神仏を尊び謙譲の美徳を忘れざること
  • 一つ、吾々は知性と体力とを向上させ事に臨んで過たざること
  • 一つ、吾々は生涯の修行を空手の道に通じ極真の道を全うすること
吾々は心身を錬磨し、確固不抜の心技を極めること
私たちが空手を修業する目的は、自分自身の体と心を鍛えることにあるのです。真剣に稽古に打ち込むことで、どんなことにも動じない、不動心、強い意志といったものを習得していかなくてはなりません。
吾々は武の真髄を極め、機に発し感に敏なること
武道としての空手の道を徹底的に追究していくことで、私たちはどんな状況でも臨機応変に対処する力、相手の心を理解し思いやりや優しさ、そしてどんなことにも素直に感動できる心を身につけなければなりません。
吾々は質実剛健を以って、克己の精神を涵養すること
私たちは、決して自分を飾ることなく、真面目で素直に空手の修業に打ち込まなくてはなりません。そして、それによって自分自身に打ち勝つ、強い心を養っていくことを心がけましょう。
吾々は礼節を重んじ、長上を敬し粗暴の振る舞いを慎むこと
私たちは武道を学ぶことで、しっかりとした礼儀を身につけなければなりません。目上の人を敬う心を養い、空手をたしなんでいるからといって、決して人前で空手の力を誇示してはいけません。
吾々は神仏を尊び、謙譲の美徳を忘れざること
私たちは人間の力が及ばない自然や宇宙の摂理を重んじなければなりません。と同時に神や仏を敬う心も忘れてはなりません。そう心がけることで、相手のことを大切にし、自分を謙遜する態度が身につくのです。
吾々は知性と体力とを向上させ、ことに臨んで過たざること
空手の修業は、ただ肉体を鍛えさえすればいいというものではなく、知性と体力をともに向上させていかなくてはなりません。それによって、どんな状況でも焦らず、冷静に対処することができるようになるのです。
吾々は生涯の修業を空手の道に通じ、極真の道を全うすること
武道としての空手の修業は一生かけて追い求めるものです。一生を通じて極意に一歩でも近づこうとする姿勢、それが極真空手の本義なのです。